ご挨拶
徳島県出身の店主谷やんは、19歳まで地元徳島で暮らしたのち、どうしても大阪に出たくなり、半ば強引に勤めていた会社を辞めて、大阪のデザイン専門学校に通うことになりました。
当初はアルバイトをしながらデザインの勉強に打ち込んでいましたが、気の合う仲間が増えるにつれ、どんどん昔から憧れていた音楽活動にのめり込んでいきました。
その当時の大阪では第3次バンドブームが全盛期の頃で、当時仲良くさせてもらっていたバンド仲間達は、今現在でも日本の音楽シーンを牽引し続けている人達も多く、この歳になっても谷やんを魅了し続けています。
AGE21
大阪ミナミのBARにて
AGE22
バンド活動をしながら北新地のBARでアルバイト
AGE23
大阪西九条のライブハウス
YANTA鹿鳴館にて
バンド活動ではあまりパッとしなかった谷やんは、1995年の阪神淡路大震災を経験してから、またまた一念発起して、今度は東京に行こうと決意しました。
当時仲が良く、谷やんよりも1年早く上京していたバンド仲間を頼って、強引に彼の部屋に居候させてもらいながらなんとか東京生活をスタートさせましたが、最初の頃はアルバイトも会社もあまり長続きせずに、転職を繰り返す日々を送っていました。
子供の頃から大好きだったテレビの業界や、大阪で夢中になった音楽業界の仕事にも就きましたが、結局楽しいながらもただ若い頃の経験にしかなりませんでした。
そうして東京での生活も気付けば20年が経とうとしていた頃、谷やんの人生に大きな転機が訪れたのでした…。
きっかけはとあるアルバイトで知り合った友人が、焼き鳥屋をオープンさせて大成功させていた事と、中学校からの同級生から「お前は絶対に飲食業が向いている」と言われたことでした。
この同級生は、谷やんが大阪でバンド活動をしながら夜にBARでアルバイトをしていた頃をよく知っていて、東京に出張で来た時に最高のアドバイスをしてくれたのでした。
こうして2015年6月から新宿区で居酒屋経営を始めたんですが、いざ始めてみると飲食業の奥深さや、料理の楽しさに目覚め、また日々新しいお客様との出会いが、大きなやり甲斐と刺激となって、谷やんの人生に彩りと変化を与えてくれたのでした…。
開店5年目には店名を「居酒屋谷やん」に変更して、更にご常連のお客様達とはとても仲良くなり、釣りにバイクに旅行にゴルフ、野球にテニスにキャンプまで、趣味を広げ、最終的には狩猟にまでハマってしまうのでした。
しかし、楽しい時代にもやがて終わりの時はやって来て、居酒屋谷やん9年目にして、店舗の土地を所有するオーナーから、売却のための立ち退きを宣告されてしまうのでした。
その後ちょっとした出来心で、隣町に「SNACK TANIYAN」をオープンさせたのですが、こちらの方は経営があまり上手くはいかず、現在は女性のスタッフにお店を任せています。
そうして自身の身体と時間は空くことになったので、次に何をやろうかと考えていたところ、たまたま沖縄の那覇での出店募集のことを知ることとなり、半分ノリで応募してみたら、なんとまさかの合格という流れになり、とうとう腹を据えて沖縄移住する決断を下したのでした。
こうして、2025年の9月に沖縄にたどり着いた谷やんが、那覇の牧志という沖縄の飲み屋の聖地で、いったいどんなお店を展開させて行くのか?
この紹介文を最後まで読んでくれた貴方と、一緒に働く仲間達と、また一から作り上げていけたら嬉しいなと考えている次第です…。